福祉の職場でパワハラを受けてうつ病が再燃。退職し失業給付金で生活しています

松田さん、こんにちは。年の瀬のいそがしい時に失礼します。今年も役に立つ情報発信をありがとうございます。生命、生と死とに関してのいちばんつらかったこと、考えさせられたことや悩みについて書きたいと思っています。

 

私はうつ病を経験した者です。辛い時期を乗り越えて寛解し、福祉の職場に着きました。私は病気の方のための施設で勤務しておりました。毎日そこに住む方々の悩みを聞いたり身の回りの世話をしておりました。

 

その中の一人にある男性がいらっしゃいました。男性は私よりも少し年上の50才を回った年齢でした。施設は精神科の病気の方のためのものでした。精神科系だったために利用者さんの悩みは本当によく聞いていました。

 

その男性にはお母様がいらっしゃいました。ところが私が男性と知り合って間もなくお母様が亡くなりました。男性には身寄りがないのと男性ひとりで火葬に出向くことが出来ないために私がつきそって遠い火葬場まで出向きました。

 

男性は棺に花だけでも手向けたいとおっしゃいました。二人で近所の花屋に行き花を数本買いました。そして棺に花を入れて男性と私で火葬へと見送りました。その後、男性と私の二人でお母様のお骨を拾いました。

 

私は直接には顔を知らないお母様の骨を拾うことになりました。話したことさえない相手の骨を拾うのは後にも先にも初めての経験でした。その後、たった一人の肉親を失った男性はとても悲しみ落ち込んでいました。

 

そのため私は丁寧に丹念に男性の悩みの相談にのっていました。毎日、一時間弱はかけて面談をしていたでしょうか。彼の孤児院のようなところで育った生い立ちや、最近の日常生活の話、現在の悩みをたくさん聞くことができました。

 

そんな日々が続き季節が巡って行きます。男性も何度か精神的に調子を崩し、そのためのフォローを何度も大変な思いをしながらやっていました。これは福祉の仕事をする上で失敗だったのだと思いますが、私は男性に思い入れを持ちすぎていました。

 

男性は何度かの入院を繰り返していましたが、ある時に自らの命を突然に絶ってしまいました。当日は私の勤務日ではなかったのですが、最初は精神科病院から直接、私の電話に電話がありました。

 

救急で総合病院へ運ばれたとのことでした。総合病院へ「施設の人間です」と電話で話しましたが身元の保証がないからと相手にしてもらえませんでした。

 

結局、保健福祉事務所の担当者から改めて連絡があり事の詳細がわかりました。飛び降りでした。総合病院の救急に運ばれた時はまだ息があったようですが手のほどこしようがなかったようです。

 

男性の火葬の当日、彼には身よりはなかったけれど、福祉事務所の職員さんや幼少期の施設の方々、病院の担当者、私の施設の職員など十数名が集まりました。

 

今、思い返してもそこへ集まってくださった方々の温かさを感じます。先に述べた男性のお母様のお骨だけでなく、結局は男性ご本人のお骨まで拾うこととなりました。

 

ちょうど、その頃職場でパワハラを受けていてしかも、うつ病が再燃していたのでしょう。私は一気に体調を崩してしまいました。男性の後を追うような精神状態になってしまったのです。しかし不幸中の幸い、体を動かすこともできずに休職の運びとなりました。

 

年末年始の出来事だったのですが、生きた心地がしませんでした。血も繋がらない人の死がこんなにショックだったのは後にも先にもこの時だけです。職場の人は「彼はこれで楽になったんだよ」と言いました。

 

自分の中ではそう思えず、もっと男性にしてあげられることがあったのではという思いでした。それから約1年が経とうとしています。男性が亡くなったこと。パワハラが無くならなかったことを理由にその職場を退職しました。

 

今は失業給付金で生活をしのいでいます。血の繋がらぬ親子。その両方の骨を拾ったという稀有な経験。人の命は儚いけれど残された誰かが面倒をみてくれるものだな、と感じました。

 

そういった残された人々の気持ちはとても尊いものだと思います。人の命の巡ってゆく様子を垣間見た気がしました。私自身、うつ病が再発してしまいましたが1年経った今、だいぶ元気になりました。

 

男性を失った悲しみも、自分の病気も、切り離すことはできないけれど、時間が優しく癒してくれるものだなと感じました。私の話はここまでです。読んでいただけたならとてもありがたいです。

 

年の暮れの忙しい中、松田さんに目を通していただけるかはわかりませんが、良いお年をお迎えくださればと思います。今年は松田さんの動画などに本当にお世話になりました。ありがとうございました。

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