本人の意思の権限で安楽死を選択させる法案が必要。抗がん剤治療は、殺人医療とも言われる

うちの父親の年の離れた姉が脳梗塞を二度も患ってしまい、生きているものの本人は身体も麻痺して足腰も痛いと述べて、早く死にたいと言っておりますから、辛いだろうなと思います。今はデイサービスに通ってリハビリをしているようですが、身体的な痛みと向き合いながら毎日過ごさなければいけないので、弱音を吐くのも無理はないと思います。

 

現在の医療体制は、病気を完治させる方向ではなく、いかに病人から医療費を巻き上げて産業体制を維持するかに重点を置いているようで、そんな彼らが命の重さを軽はずみに語る様子が、テレビなどで報道されますが、虚像だと感じます。

 

抗がん剤治療の副作用を抱えながらも頑張って望みを託して治療を受け続ける芸能人が称えられがちですが、世界中に同様に苦しんでおられる方々がたくさんおられますので、命の重さは平等なはずです。

 

また抗がん剤治療は、本来医療としてはあってはならない殺人医療とまである一部のジャーナリストから指摘されていますので、それを受け続けることが最善の策ではないですし、また副作用に悶え苦しむ必要もないわけです。命を尊いものとして認知するなら、治すことが出来ずに四六時中苦しみを味わって生き地獄であるなら、安楽死の選択肢があってよいかもしれないと個人的に思ったりもします。

 

むやみに人権を主張して、命を尊ぶべきと軽はずみにもTV越しで発言するコメンテーターや芸能人は、その場限りの一時的な感想を述べて誉めそやされますが、実際に医療に携わる方々の意見を聞くと、現実は楽観主義ではなく、乗り越えられない苦しみがあるために安楽死を推奨する法律が必要ではないかと正直に言います。

 

本人にしか理解できない苦しみを周囲が理解することができませんが、サポートすることはできるかもしれません。それでも成す術がこれ以上ないとわかった時点で本人の意思の権限で安楽死を選択させる法案があってもおかしくないと思います。

 

年配の方々と話すと誰しもが、みんな順番が来るわけだから、みんな最後にはしんどい思いをして死ぬことになると口をそろえて言います。順調にいけば、ある程度病気を予防することが可能ですが、確かに大きなけがや完治不可の難病を抱えることで生き地獄を味わうくらいなら、みなこの世に生を受けて、死ぬわけですから、本人次第で死期を早めることは愚かであると断言できないかもしれません。

 

我々は今を生きていますが、明日何が起きるのか知らずに毎日生きています。みな何か生きがいをもって生きているわけですが、望みのない生涯が何十年も待ち受けているなら、それは不幸だと思います。

 

本人の意思に逆らって、チューブを人体に通して人工的に生かす現在の医療等には断固として反対です。いつもここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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