理論的に未来に行くことは可能だが、過去に戻ることは不可能、というのが定説

歳をとった(54歳)せいなのか、ここ一年程で自分の頭の中の状態と身体の反応のズレを感じるようになりました。こうやってパソコンを使っている時もキーボードを入力している指先と、考えている頭脳がまるで別々にような感じになってしまってもう一人の自分が肩越しに見ているような気持になることがあります。

 

洗面所で顔を洗う時など鏡を見るときなどはさらに複雑で、顔を洗っている自分と、鏡に映っている自分と、更にそれを見ている自分、という風に一時に3人の自分を感じたりします。よく心霊現象などで例えに出される魂のようなものに近いのかもしれません。

 

これは自分だけの感覚なのか、それとも他の人にもある感覚なのかは確かめようがないと思いますし、他の人に尋ねたこともありません。

 

面白いのが、この自分の中に感じる別々の人格?の時間の感じ方が微妙にずれている、という事です。時間にすると恐らく何分の一秒、いや何百分の一秒だけ行動する自分を見ている方の自分の時間が遅い、と感じます。

 

日常生活に不便なほどではありませんが、今までは感じなかったその感覚のズレに戸惑ってしまうこともあります。江戸落語にある「粗忽長屋」で、自分とそっくりの溺死体を自分だと信じ込んでオロオロする粗忽な男の心情に近いのかもしれません。

 

タイムマシンは果たして発明されるのだろうか?という話題はしばしば論じられます。

 

もう30数年前にヒットした「バックトゥザフューチャー」という映画の中でも主人公の青年がが過去や未来を行き来していて自分の両親や知り合いと接触し、昨年アメリカの大統領になったトランプ氏がその映画の登場人物(父親の友人)にそっくりだと話題になりました。

 

しかしながら、現在ではどうも理論的には未来に行くことは可能性があるけれども、過去に戻ることは不可能である、というのが定説のようです。

 

少し飛躍した考えなのかもしれませんが、私のこの体の中にある別々の人格は、自分の中でほんの何百分の一かの過去を見ていて、それは究極的にはタイムマシンのようなものになるのではないか?と思うことがあります。

 

今は何百分の1秒であるこのズレが、やがて何秒かになり、何日かになり、何年かになっていくとすれば、自分の中で身体と頭脳が過去と未来を行き来しているようにならないだろうか?と思うのです。

 

全く社会的には役に立たないことではありますが、どこまでいっても、人間の存在自体は主観でしかとらえられないと思いますので、私の中にあるそんな感覚もあながちでたらめでもないのかな、とは思います。

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