いじめ・人間関係のなやみ

LINEいじめなど、コミュニケーションツールのSNSがいじめに使われるのが皮肉

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いじめは、される側にとっては、とてつもない絶望感と苦しみを味わいます。暴力によって肉体的にも精神的にも苦痛を受けるいじめ、無視や陰口、謂れなき誹謗中傷による陰湿ないじめ

 

言葉の暴力によって心は傷つき、自信を失い、自分は生きる価値がないと思うようになり、時にはあまりの辛さに自ら命を絶つという選択肢を選んでしまうケースもあります。

 

このようにいじめは、その人の人生を終わらせてしまったり、その人の心に、一生分の心の傷を負わせてしまう残酷な行為です。私は小学生の低学年の時、クラス数名の同級生から、いじめをうけた体験があります。

 

いじめられるきっかけは思い出すこともできないほど些細なことでした。それまで仲が良かった同級生達が、ある日を境に私を無視しだしたり、避けるようになったり、ノートや教科書に謂れもない誹謗中傷の落書きをされる、といったいじめを受けました。

 

時には下校中の通学路で待ち伏せされて、砂や石を投げられたこともあります。まだ幼かったわたしにとっては、どうしてそうなったのか、事態が全く呑み込めず、まさに青天の霹靂でした。

 

いじめられる側を体験した私ですが、いじめる側に回った体験もあります。それは、中学生になってからのことでした。クラスに一人いじめられっ子の生徒がいたのですが、皆がよってたかってその生徒を日常的にいじめていたんです。

 

からかう、教科書や上履きを隠す、足蹴にする、その生徒の人格否定や家族のことにも触れて、怒った表情やリアクションの反応をみて面白がるといったものでした。

 

私がいじめる側に回った理由は、クラス一体となっていじめている、その集団心理にはどうしても抗えず、加わらなければ今度は自分がいじめに遭ってしまうのでは、という恐怖心からでした。

 

小学校の時にいじめられたこともあり、それがトラウマとなっていたので、自己防衛のために、いじめ側に回るといった本意ではないことをしてしまいました。

 

当時をこうして振り返ると、未熟な子供ながらにした出来事だったとはいえ、本当に申し訳ないことをしたという気持ちでいっぱいです。今、時代は情報化社会へと変遷を遂げて、スマホなどの発達した情報ツールを、老若男女、大人から小学生までの幅広い世代の人が持つ時代になりました。

 

同時にいじめの内容も時代と共に変質していき、少中高の学校では、授業中にLINEを使って、特定の生徒を無視するようにと支持をしたり、悪口を共有しあう新しいタイプのいじめがあるそうです。

 

哀しいかな、コミュニケーションツールのSNSがいじめの道具に使われているのは何とも皮肉なことだと思います。それは子供の世界だけではなく、成人した大人の世界でも昨今、パワハラ、モラハラ、セクハラという言葉が当たり前のように叫ばれる時代になり、かくゆう私自身も会社勤めをしていた時に、上司によるパワハラを経験した一人です。

 

なぜ、人間社会にはいじめという非情な行為が存在するのか、妬みや嫉妬、憎しみの感情、蔑みの感情、自分より弱い立場の人を見下すこと、他を攻撃することで、自分を肯定してしまうこと、今風に言えば、ムカつくとか、ウザいという感情、キモイという感情

 

それは誰しもが持っている潜在的なものであり、人間の心理の中に、そういった潜在的な闇の部分がある以上、いじめを人間社会から完全に失くすということは困難なことかもしれません。

 

そういった状況の中、悩みを共有できるサイトを立ち上げて、実りある情報を発信し、弱者の方々の立場に立って活動されている管理者様には心から敬服するしだいです。

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