夫婦2人で沖縄他6島めぐりをして帰ってきた後、母に肺がんが見つかり「予後1月」

生命、生と死に関して人生で一番つらかった事、考えさせられた事や悩みについてですが、やはり実母の死に関しては、色々と考え、悩み、調べ、沢山の人にお世話になったかと思います。

 

結婚後はじめて10日間という休暇をとって、夫婦2人で沖縄と他6島めぐりをして帰ってきた後のことです。母は日ごろから、腰が痛い・胃が痛いと言っていたのですが、急に寝込みがちになりました。

 

さすがに家族全員心配をし、病院に行き、偶然肺がんが見つかりました。医師の告知は、「予後1月」。父・妹と3人で先に告知を受けたのですが、その日からどう残りの時間を過ごしてもらうか、どのような病状を伴うか、どこで看取るか・・・本当に3人で沢山話し合いました。

 

私は看護師をしていた経験があり、担当医師もレジデンスで母の癌を発見したのも初めての経験だったということもあり、今考えれば異例ですが、よく担当医から電話がかかって相談がありました。

 

妹と私は、今後の看取り方等の話をしていたのですが、ある時父が、「お母さんには頑張ってもらいたいから、どこか専門病院や先生がいないか、探してみたい」といった時は、始めて父の前向きな意見でとても驚いたことを覚えています。

その後、医師とも話して、母の意向を尊重し、色々なことに対応できるようにしようということになりました。

 

母を含めた告知の日、医師からの告知後、母は間髪入れずに「頑張りたい。治したい。」と言ってくれました。その時、5人とも最後の一日まで前向きに病気と向き合い、闘うことを誓ったのを覚えています。

 

その後、医師と話し合って、私の母校の大学病院ではなく、がん専門の病院に入院することになりました。今でも家族と話すとその病院の担当医になってくれた「じろう先生」は、当たりだったねというぐらい、母と相性があっていました。

 

彼は底抜けに明るく、化学療法が全く効かなくて悩む母の気分を引き上げてくれ、ありがたく思っています。また、その病院はがん専門病院で、皆がん患者ということもあって、包み隠さず病気のことを言えたので、母も返って前向きに取り組むことができたのかもしれません。

 

母が在宅医療を希望した時も、近所の往診の先生、総合病院で総合的に管理してくれる先生、沢山の看護師さん、近所の方や保険調査員の方・・・挙げるときりがないのですが、皆さん、本当に一丸となって私たち家族に協力してくれ、1年9か月も長生きすることができました。

 

看護師でありながら母の病気のことに気付かなかったこと、見て見ぬふりをしてしまったことを後悔しています。また、結婚・出産を私も妹もしていなかったため、母に体験させてあげたかったし、孫を抱かせてあげたかったという後悔があります。

 

普段の生活の中では何でもないことが、母の死後しばらくは、過敏になりました。近所・親戚の何気ない言葉が、心にぐさりと突き刺さりました。母の愛したこと、もの、すべてのことが大事で、事ある度に思い出されました。

 

あれからもうすぐ、13年になります。日々色々なことがあり、その時を生きるのに精一杯の私ですが、私もいつか皆さんの誠意に答えられるように、前向きにポジティブに生きていきたいと思います。

コメントは受け付けていません。