父が急性クモ膜下出血により84歳で他界。母の遺族年金と貯えに依存している状態

人の生死に関して最もつらかったことと言えば、私の父が昨年2017年の2月に、急性クモ膜下出血により、享年84歳で他界したことです。正直、こんなに早く親の死に直面するとは思いませんでした。

 

もともと父とは仲が良くありませんでした。両親同士の仲も悪く、家の中の雰囲気が沈んでいました。両親が夫婦喧嘩をした時は、私はいつも母のほうの味方をし、時には母に「頼むから別れてくれ」と言ったこともあります。

 

かと言って、私は母親と仲が良いというわけでもありませんでした。母は、私の進学や就職に関して、いつも干渉してきました。いっそのこと自分が実家を飛び出して自立すれば良かったのですが、自分が何かをしたいという確固とした将来のビジョンを持っておらず、また私は世間に対してはあまりにも非力だったので、仕方なく親元にしがみつくしか道はありませんでした。

 

父親は生前は郵便局員をしていたこともあって、母親は事あるごとに、私に郵政の職につくように圧力をかけてきました。しかし私は、同じ公務員でも(当時は郵政はまだ民営化されておらず国営企業だった)労働省とかの他の省庁への就職を希望していました。

 

そして、一時期、公務員(大卒程度)試験の一次筆記試験に合格したとき、両親は裏で私が郵政の職に就職できるように根回ししたらしく、郵政の採用担当者から、入省するかどうかの意向を聞く電話を取りましたが、私はその流れに逆らって入省を断ったので、結局、一般面接試験で不合格になり、省庁別の面接試験を受ける権利すら失う羽目になったこともあります。

 

そんなこんなで親との確執に縛られながらも、何とか郵便局の非正規社員として19年間働くことができましたけど、私が歳をとると同時に両親も歳をとって行き、両親ともに体の自由が利きにくくなって行きました。

 

特に父は、働くことをやめた70代後半過ぎから認知症が進行してゆきました。元来、父は一人で遠出してなかなか帰宅しない性癖を持っていましたが、認知症が進むにつれて自力で帰宅することが困難になって行き、警察に保護されて私が父を引き取りにいくというパターンをくり返すようになりました。

 

母親も、精神的にだんだん弱って行って、私に対してやかましく言わなくなった代わりに自分の介助を求めてくるようになりました。いつしか、私は両親に対しては実質的に立場が逆転し、私のほうが「保護責任者」のような感じになりました。

 

私が自分自身の生活を支えるだけの経済力を十分に持っていない中で、もし母親のほうが先に死んだら、認知症の父をどのように介護して行けばいいのかという答えがまだ見つかっていなかったので、両親のうちどちらが先に死ぬかというのは、私にとっては重大な問題でした。

 

その中で、父はインフルエンザを悪化させて寝たきり状態になり、春の訪れを待たずに永い眠りについてしまいました。

 

過去にいろんなことがあったとは言え、親の死はつらいものです。足が不自由になった同居の母親は、もうすぐ一周忌を迎える今になっても、父の死によるショックから立ち直れずにいます。

 

ただ、父は生前はものすごく仕事人間でした。そのおかげでか、父が死んだ後でも、配偶者の母親を通じて年金の手厚い保護を受けております。

 

私は、なるべく親の年金や貯えに頼らずに、自分が周囲を支えるだけの経済力を持ちたいと思うのですが、なかなか自分の思惑通りには自分の運勢は良くならず、今のところ、母親の遺族年金と貯えに依存している状態が続いております。

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