一人っ子で会話が苦手な人見知りなのに就職はカネボウ化粧品の美容部員で接客業

私は50歳になった時に、もう残り時間は少なくなった。自分のしたい事をしていこう。嫌いな人物、人を不愉快にさせる人には近づかないでおこう、と心に決めましたので、自分のコンプレックスというものを忘れてました。

 

私は一人っ子で、学校の同級生は全員、兄弟がいて一人っ子は私だけでした。なので、放課後の遊びとか、運動会とかなんだか孤独を感じてました。いつも一人海に行き、小高い山に登って夕日をみていましたね。なので人とどのように会話していいか、とっても苦手でした。常に冷めたところがあって、我儘で、小学校の通知表には何年も自己中心的って書かれてました。

 

人と接する事がとても苦手でした。道も誰とも会わないように急いで帰ったり。今思うと、楽しさ0%だったな。こんな寂しい地味な幼少期を過ごし高校卒業して、大阪に就職した時には毎日、ドキドキ緊張の連続でした。

 

就職はカネボウ化粧品の美容部員で、人見知りなのに接客業を先生に決められてしまったのです。人前に出て、商品説明しなければならない。お客様にお化粧してあげなければならない。お化粧品を売らなければならない。

 

私は、一人で会社の事務所に入る事も出来ない。一人で電車に乗る事も出来ない。(田舎者で怖くて一人で出かけられなかった)一人で喫茶店に入る事が出来たのは20歳でした。

 

私に姉弟がいて、家が貧乏じゃなくて、田舎ではなく都会だったならば、人との免疫があればこんなに人見知りじゃ無かったろうなと思います。生まれた環境がそうだったので仕方が無いのですが。ただ、こんなに人と接する事が苦手なのに、それ以降の仕事もほとんど接客業でした。

 

大阪に最初は就職で出てきたのですが、お店のご主人によく怒られました。九州のなまりがあった事、動きがとろかった事等。ご主人は雪駄を履いていて、お客様の前でよく雪駄で頭を叩かれたり、自分のお客様なのに他のメーカーの商品を買わせたり。カウンターの下や、倉庫でよく泣いてました。

 

33年後、大阪で用事があったので記憶を呼び起こして当時のお店に行ってみました。お店はまだありましたが、シャッターは閉まっており長い事閉まった感じでした。なんだか、懐かしかったですね。時間って気づかないうちにあっという間に過ぎるのですね。

 

今では、あの頃の嫌な思い出も面白ろ可笑しく話せますが、当時はきつかったな~。私の、コンプレックスは全然しょうもない、他人様からみたら何でもないような事でしょうね。

 

今でも一人が大好きで、人見知りもありますが、接客業で多少は鍛えられたのかもしれませんね。おかげで私の人生明るくなったとおもいます。

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