転職回数が多くスキルが身に着かない。心療内科で適応障害の診断をされ介護の仕事を辞めた

悩み事を吐露させていただきす。 仕事に関してです。転職回数が多い事です。初めて就職した会社は東京の中央区にありました。入社したきっかけは、大学を中退してアルバイトをしていた時、仲良くしてくれていた先輩のお父様が社長をしていて、うちの会社に来ないかと、誘いを受けました。

 

社交辞令とは思うものの、何度も誘いを受け働くようになりました。平成の初め頃、ちょうど世の中はバブル経済真っただ中でした。社会人として右も左もわからなかった私は厳しい上司の指導や叱責に耐えかねるようになってしまい、別の会社を見つけて3年しないうちに辞めてしまいました。

 

上下関係が苦手な事に当時は気付いていませんでした。満員電車に揺られ出勤する現実をこの先何十年も続けて行くことは無理だと感じました。先輩からも自分ができると思えばやってみたらいいとアドバイスされていました。自分なりに努力して会社に貢献しました。

 

中でもネズミ駆除のための仕掛けをしたことは、忘れられません。繁華街にあるオフィスは彼らの格好の住処だったのでよく取れました。帰社する前に接着剤の付いた厚紙の上にさつま揚げを真ん中にセットしておくように指示されて、朝出勤すると大きなネズミが身動きできずに捕まっていました。

 

こんな仕事に誇りが持てず、ほかの部署の方から若いのにもったいない等と言われたりしていました。人に言われたことを右から左に流せない自分は、上司の小言に辛くなり正社員でも、肉体労働のアルバイトより安い給料に我慢できませんでした。

 

きっとかわいげのない部下だったのでしょう。その上司に対して相性が悪かったのか、なんとなく好きになれないとゆうか嫌悪感を感じていました。上司は選べないので仕方なくサラリーマンはみんなそんなことは我慢して日々働いているのでしょう。辛抱できない我慢できない自分は情けない男だと自分を責めますが、どうしようもありません。

 

転職した会社の上司とはうまくいきました。しかしお付き合いをしていた彼女にふられてしまい、やる気がなくなって自暴自棄になり辞めてしまいました。

 

ホワイトカラーの仕事ではなく職人さんの仕事ならやっていけるかもしれないと植木屋さんで仕事を始めましたが、怒鳴りつけられてばかりいました。

 

父や母や部活の顧問に怒られたりしてもそんなにいやな気持にならなかったのに社会人になったにもかかわらず転職を繰り返し生きてゆくスキルを身に着けられない事に悩みました。

 

ガソリンスタンドで働いて、オイル交換や洗車をお客さんにすすめて買っていただけることに喜びを感じるようになりましたが、同じことばかりに飽きてしまい辞めてしまいました。

 

どこに行っても続かないことに家族も悩んでいたと思います。ある日母からお前は優しいから介護の仕事があっているのではないかと言われヘルパーの資格を取ってリハビリの施設で、利用者さんの送迎やお風呂やトイレの介助をして働きました。

 

そこでは6年くらい働きましたが、同僚と付き合い始めたのですが別れてしまい気まずくなってしまい別の介護施設で働きました。介護の仕事は精神的につらく、気分転換の下手なせいもあり心療内科で適応障害の診断をされて介護の仕事を辞めました。

 

組織に所属している以上周りの人とうまくコミュニケーションを取りながら仕事をすることは、わかっていますが、自分では知らず知らずに、傲慢で相手にとって上から目線で伝わるのが、辛いです。

 

何か図々しく、嫌われてしまう何かがあるため周りとうまくやっていけないのでしょうか?。思い込みが激しく2面性のある性格も災いしているのかもしれません。どうぞよろしくお願いいたします。

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