プロフィール

2005年に独りで起業、独りネットビジネスにこだわり15年ほど。『独りネットビジネス』にこだわり約15年。在庫なし、初期費用なし、維持費なし、安定志向、独りでできていつでも辞められるビジネスを専門にやっています。

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膵臓がんの祖母を病院に連れて行った時には手遅れですでに全身に転移していました

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生と死に関して・・・。本当に難しいですね。特にやはり死に関しては、私もいろいろ思うところがありました。私が初めて死を意識したのは、大好きな祖母の死でした。生まれた時から近くにいて 妹が生まれる時は 母が出産の為入院してる間は私を預かってくれていました。

 

寂しがる私を何度も抱きしめてくれました。遊びに行くのが大好きでよくいろんなところに出かけました。旅行にもたくさん行きました。足腰が強く、どこでもチャカチャカ歩いてました。普段よく着物を着てました。私が高熱を出した時はかけつけてくれてずっと側にいてくれました。

 

いつも私の味方でした。孫はたくさんいたのですが親戚みんなが私と祖母が一番仲がいいと言ってました。

 

祖母に聞いた事があります。「孫の中で誰が一番好き?」と・・・。祖母は黙ってニッコリ微笑んで抱きしめてくれました。すごく安心しました。

 

当時はとてもかわいく生まれた妹にみんなの目が向きそれに比べてお姉ちゃんはかわいそうと言われ続けた日々だったのでとても安心したんです。

 

そのことにコンプレックスを抱いてると話したことはなかったのですが、かわいい、かわいいと言い続けてくれました。本当に大好きでした。

 

私が中学生になった頃、祖母が病気になりました。親戚が病院に連れて行った時には手遅れでした。膵臓がんでした。すでに全身に転移していました。

 

祖父母が、我が家で一緒に住むことになりました。その頃母は離婚していて私と妹を一人で育ててくれていました。

 

楽しく過ごしていました。釣りが大好きな祖父に見た目はとても元気な祖母。最初に診察した時に余命3カ月と言われたそうです。ですが私の覚えてる限り、最後まで元気でした。

 

余命3カ月と言われてたのですが半年以上経って、少し横になる事が多くなってきました。

 

私たちが学校に行って母が病院に薬を取りに行ってる間、祖父と二人で家に・・・。祖父が釣りに行ってしまったら祖母は一人で帰りを待つ状態でした。

 

のちに母が「すごく不安だったと思う。バス降りたらずっと見てるのが見えた。」と言ってました。窓からバス停が見えるのです。どれだけ心細く見送って帰りを待ったでしょう。

 

私が先に帰ってきたときは 満面の笑顔で「おかえり~」と迎えてくれました。のちに 母は「車があったらね~。免許があったらね~」と言ってました。あんなに寂しい顔させずにすんだのに、と・・・。車で行けばたいして時間もかからない場所にあるんです。なにより一緒に連れて行けたと言ってました。

 

18歳で免許を取った私に言いました。今も元気だったら・・・。今だったら・・・。今ならすぐに手に入る車椅子も当時はなかなか手に入りませんでした。

 

あとから従妹が言いました。私より少し年上の彼女は「言ってくれたら看護婦の友達がいたから手配したのに・・・。」と・・・。それなら様子見に来てくれたらよかったのにと思いました。

 

今みたいに一般人がネットで検索とかできない頃です。車椅子が借りれるとか思いもしませんでした。そして中学2年のお正月、親戚みんなが集まりました。祖母はほとんど意識がありませんでした。その3日前の12月29日にはベッドに座って私が食べてるポテチを一口食べて二人でどこに遊びに行くか話してました。お花見も行きたいねと言うと祖母はニッコリ笑って「うん。行きたいね。」と言ってました。

 

あっという間でした。元旦の夜、意識が混濁してる祖母に母が付き添ってました。深夜になり私が寝るため祖母に声をかけました。「おばあちゃん、おやすみ~」と・・・。すると今まで誰の声にもきちんと反応できなくなっていた祖母が元気だった時のようにはっきりと「うん、おやすみ!」といつものにっこり笑顔で言ってくれたのです。

 

びっくりした私は母を見ました。母も びっくりしていました。そして祖母ともう一度にっこり目を合わせ、私はお布団へ・・・。母が「おばあちゃん、あんたが見えなくなるまでずっと目で追ってた。見えなくなったとたん また意識が混濁した。」と言ってました。

 

そして母の「お母さん!」という叫び声で目を覚ましました。

 

祖母に朝の薬を飲ませ、着替えを取りに30秒ほど離れ戻ってきたら様子がおかしかったそうです。その瞬間、祖父が祖母の頭をなでながら側にいたそうです。その祖父もわからなかったぐらい静かに旅立っていきました。祖父は「ばあさん、まだ早いやろ・・・。と静かに涙を流していました。親戚が集まり慌ただしくお通夜、お葬式と時間が流れていきました。

 

私は年の近い従妹と冗談を言いながら笑ってました。全く泣いてませんでした。自分でも不思議でした。一筋の涙も流れません。親戚もあんなに仲良かったのにと不思議そうでした。でもそこにまだいるから。寝てるだけだから。

 

時々、ドライアイスで冷やされてる祖母の手を握り、まだあったかいな、なんて確認したりして・・・。そして お葬式が終わり霊柩車のドアがしまった瞬間、ドアをつかみ、連れて行くな!と叫んだそうです。そも辺のことは実はあまり覚えてないのです。

 

たださよならする気がして・・・、もう会えないような気がして・・・。かなり暴れたみたいです。泣き叫びながら 連れて行くな!と・・・。悲しんでるというより、怒りだったみたいです。私から大好きなおばあちゃんを奪っていく者に対して。親戚に引きはがされ、やっと泣けたねと言われ・・・。

 

あとから本当に悲しい時とかまだ覚悟ができてない時は、泣けないんですね。何だろう。わかってた事なのに。実は余命とか間違いでなんだかんだと長生きしてくれるとか勝手に思ってんですね。でも私が最期にみた祖母は いつもの笑顔でした。

 

本当にいつもの笑顔でした。生まれた時からそこにあった笑顔です。あれから35年経った今でも鮮やかに残ってる記憶。死は、ふいにあっけなくくる。でも自分の最高の笑顔を覚えてもらってたらそれは生だと思います。

 

辛い事とか本当に死にたくなるような出来事が蔓延してる日常ですが、どんな状態でも最期の最期に大切な人に 最高の笑顔を見せる事。それが、私の目標です。

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