私はADHDとHSPという厄介な人間。普通の勉強に興味が無く、興味がある事だけをやる

生まれつきのコンプレックスについてですが正直な所コンプレックスは感じておりません。理由としては

 

・わりかしプライドが高いから

・他者と自分を比べ事に関しては興味がないから

 

だと思います。コンプレックスについてはこのぐらいの認識でございます。

 

わたくしは「軽度のADHD」だと思っております。多動性・衝動性・不注意性というモノがあるようですが、私が特に酷いと自覚しているものは「不注意性」でございます。よくよく数字の間違いや誤字をしてしまいます。

 

そのほか2つに関しては自分が軽度のADHDだと自覚しているので気を付けて生活しております。衝動性の「思った事を口に出す」という行為はある意味で才能だと思います。本質を突いている事を言うので私は良いと思っておりますがそこが「正常な人間」とのギャップなんでしょう。

 

しかし私はADHDは才能だと思っているのでそれを生かした仕事をするか誰にも迷惑が掛からない環境に身を置けば良いと思っているのでADHDにネガティブなイメージは持っておりません。

 

そして私は自分が軽度のADHDと自覚しているので職場の人間に迷惑を掛けたくないのでなるべく早くこの生活を抜け出したいです。

 

学習障害については、学生の頃は本当に頭の悪い人でした。そもそも普通の勉強に興味が無く、興味がある事だけをやりたいという人間だと思います。
(道徳の時間は話が気持ち悪くて嫌いでした)

 

なので英語や音楽、心理学や経済学、哲学に夢中になっていた事はありました。身体の障害やルックスには問題は無いと思いますが、人見知りはあります。

 

別に人のオーラが見えるという訳では無いのですが何となく雰囲気で嫌悪感を抱いたり特に相手の喋り方で拒否感を感じてしまう事は多々あります。おそらく私はADHDとHSPという少々厄介な人間かもしれません。

 

どちらも才能だと思いますが、今の現代社会の中ではそれが苦になっている人は沢山いると思います。自殺してしまった人の中にはADHDやHSPであることを人に言えずに1人で悩んで社会に押しつぶされてそして耐え切れなくなり自ら命を絶ってしまった方は沢山いると思います。

 

私はもし仮にHSPやADHDだったとしても叶えたい夢があるので死にたくなる時はありますが死ぬという選択はとりません。とにもかくにもそういった方の心が安らぐ環境を作って1人でも生きれる環境を作るのが必要な時代になってきたなと思います。

 

上手く話せない時は確かにあります。それは自分が相手に対して心を開いていない時です。しかし常に自分の心を開くのは危険だというのは知っています。

 

しかしほとんどの日本人は他者が自分の為に存在していると勘違いしているので簡単に他者に心を開かない私は彼らにとっては理解が難しい存在だと思います。なので私も彼らに理解されたいという承認欲求は無いのでトラブルになる前に息苦しい環境から脱出したいものです。

 

治せない不幸な悩みや体験談は1つだけあります。必ず「自分から好きになった人には告白してもフラれるジンクスを持っている」です。

 

おそらく松田さんは、「その人達とは繋がる運命では無かった」とおっしゃると思います。勝手に想像してしまって申し訳ございません。しかし私はそう思います。そう思わないとやっていけないからです。

 

いまでは後悔は当然無いのですが、今好きな人がいて今回もそのジンクスが発動しいで欲しいと願うばかりです。しかし今回はなんだか「凄い偶然」が重なっていて神様(何かの流れ?)が与えてくれたチャンスじゃないかなと思っています。

 

とりあえずこれが私の治せない不幸?な悩みでございます。失礼致します。

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