体力と運動神経が劣り、天井裏でネズミが走り回るような安アパートで風呂もずっと銭湯

生まれつきのコンプレックスとしてすぐ思い浮かぶのは,昔からずっと同年齢の人と比べると体力と運動神経が劣る,ということがありました。

 

小学校の時は,ずっと水泳が出来ず,昔から父親と川に魚釣りに出かけ,そこで泳ぎながら魚釣りもする,ということを父はよくしていたのですが,それに同行するも私自身は,ようやく泳げるようになったのは中学2年生のときでした。

 

昔,吉田拓郎が「自分はカナヅチなのだが,高校のとき水泳の授業は海でやるんだけど,泳げない者ばかりを集めて,溺れたらマズイから泳げない者だけ水泳帽の上に風船みたいなものをつけたやつを被らされ,それがたまらなく嫌で,ずっと授業をサボっていた」と言っていたのを記憶しています。

 

その話を聞いたとき,小学校の時にクラスで男子の3分の2以上は泳げたのに,自分は泳げず,皆の前で特訓させられたのを思い出しました。思えば,幼稚園の頃から気が弱く,体力も無かったので,引っ込み思案で友達もおらず,幼稚園に通っていた2年間は,本当に苦しかったことを憶えています。

 

小学校に入ってからも,班を作ったときに,男子はもちろん気の強い女の子にまで馬鹿にされ,いわゆるパシリをさせられていました。それが悔しくて,苦しくて,当時の風潮としては女に負けるなんて男のクズみたいな価値観がありましたから。そして,自分もその価値観に染まっていたのだと思います。

 

だから,毎日学校に行くのが嫌で嫌で,学校が夏休みになるのをどれほど心待ちにしていたことか。小学校でプールに初めて入ったとき,最初はプールの縁石を手で持ってぐるっと回るというのがあったんです。

 

そのあと,手を離して2~3メートルぐらいプールの真ん中の方に向かって歩いてみようという練習になった途端,当時は周りの者より背が低くて,その自分にはプールの水深が首くらいまであったので,怖くてぜんぜん縁石から手が離せませんでした。

 

皆,プールの真ん中の方に向かってはしゃいで進んでいくのに,自分は怖くて縁石にしがみついていたんです。その頃からかな,自分は他の人が簡単に出来ることも出来ない人間なんだ,と思うようになったのは。ドッジボールでも,すぐに当てられ,そのあとはずっと,枠の外から眺めているだけ。

 

あと,自分は母親が30歳を過ぎてからの子どもで,また貧乏でしたから,服装とかも母親が買ってくれるものが,周りの子の着ているものと比べるとどうもセンスがないというか,ダサイ。テレビでも何でも,同世代の皆が知っているようなものでも自分は知らない,ということがよくありました。

 

父親が不規則な勤務形態でしたので,家族旅行とかほとんど行ったことがなく,小学4年生の時かな,大阪万博というのがあって,クラスの子どもは皆,行ってたみたいだけど,クラスで自分一人行ったことがなく,それをごまかして話を合わせたりするのが,とても苦痛でした。

 

とにかく,体力と運動神経が劣るのはもちろん,それ以外の生活スタイルでも,自分はほかの子とずいぶん違うと言う思いがずっとありました。住んでいたのも,夜になると天井裏でネズミが走り回るような安アパートで,風呂もずっと銭湯に行ってました。

 

その頃のコンプレックスからか,社会人になったら絶対金持ちになって,風呂付きの家を建てよう,とか思っていました。とにかく金持ちになりたいという思いは強かったのを覚えています。

 

周りの子より自分は,いろいろな面で劣っている,そういう思いをずっと持っていました。体育の授業とかでも,他の子と比べると,スタミナも身体能力も,一学年以上下の子どもと同じくらいで,全然皆のペースについて行けなかったですね。

 

自分らの世代は,皆,だいたい野球はするのですが,運動音痴+父親が前記したように不規則な勤務形態でしたから,子どもが遊ぶ時間帯には家に居なかったり,日曜日とかでも家に居ないことが多かったです。

 

キャッチボールの相手とかしてもらったこともなく,またグローブも買って欲しいと自分からは言わなかったので,5年生くらいの頃,体躯の授業でソフトボールをやらされたとき,皆,グローブをはめて野球ぐらいはしたことがあるのに,自分はほとんど経験が無いのです。

 

周りの人間との能力格差を見せつけられて,完全に野球からは興味が失せました。自分らの世代で野球に興味が無い人間って,ホント珍しいというか,ほとんどいなかったのではないかな,と思います。

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