子供のいじめと違い、大人は、仕事、お金、ノルマ、その他、色々な事が絡んで来る

自分は、小さい頃から体が弱く、小学2年くらいまで、殆んど学校に登校していませんでした。その為、勉強についていけず、テストではいつも、10〜20点位だったと思います。その為か、よくいじめられました。

 

中学校に入学しても、やっぱり同じで、身長も学校内で、一番低かったので、更にいじめが激しく成りました。中学校1年の後半頃になると、逃げるように不登校に成り、悪い仲間が出来て、遊ぶようになり、今まで、いじめられてた立場から逆にいじめる立場に成ってその結果、中学3年には、施設に入れられ、その後、鑑別所にも入りました。

 

そんな自分には、中学校の卒業証書が有りません。今、思う事は、その時のことを思うと、泣きそうに成ります。いじめは、その時だけ人を苦しませるだけじゃ無く、その後の人生までも狂わしてしまう。

 

みんなが皆 自分と同じで人生を歩くとは、思いません。強い人は、負けずに、立派に生きて行くでしょう。でも、みんなが皆、強い自分を持って居るわけじゃない。そして、いじめはこれからも無くならないでょう。

 

子供の頃は心が未熟だし、そして人間と言う生き物だからだと思う。ただ、教育者と教育で、少しは減らす事は出来ると思うし、減らして欲しい、、、
いじめと一言で言っても、色々な原因があったり、いじめられるべくしていじめられる人も居れば、なぜこの人がいじめられなきゃいけないって人も、居る。

 

自分は、大人に成って、社会に出て、今も、教養がない為に、心無い言葉を言われます。でもそれはしょうがないと思う気持ちが有ります。

 

子供のいじめと違い、大人は、仕事、お金、ノルマ、その他、色々な事が絡んで来るし 自分の中でいじめと思って居た事が、もしかしたらいじめじゃないと思う事も確かにあります。

 

人によっては、怒られていると思う人も居れば、いじめられていると思う人も居ますし 難しい問題です。自分は、自分が言われたら傷つくと思う事は、言わないように、心がけて居たいと思う。その一言が、その一つの行動が、一人の命を奪う事だってある。

 

自分の弟は、その一言 その一つの行動で 自分の命を絶ちました。言った人は、まさかこんな事になるとはと、泣きながら訴えていました。でも、その人は、この言葉を言えば、傷つく事を分かって、あえて言った言葉だと思う。

 

その人は、今も、毎年5月26日 弟の墓参りに来てくれます。その人は、今も苦しんで、生きて居るんだと思います。だから 一つの言葉 一言の行動を自分の心に刻んで、これからも弟のぶんまで生きて行きたいと思います。

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