年上の彼女と付合っていた21歳の時、頭が痛いと言っていた姉が「くも膜下出血」で急逝

私が生と死で一番つらく、考えさせられたことは姉と父の死でした。21歳の時、私は大学生でありながら友人と意気揚々と会社を設立していました。親の金のくせにそれはそれは大きな態度で「これからの時代は俺たちが作る」くらいの面構えでいたのを覚えています。

 

生意気に年上の彼女と付合い、調子に乗っていた最中に姉が急逝したのです。原因は「くも膜下出血」でした。確かに一週間前位から会社を休んでいたので「風邪でも引いたのだろう」と思っていた矢先だったので本当に驚きました。

 

しかも私は姉が亡くなったまさにそのとき、彼女と遊んでいて、友人に教えてもらうまで気付くことがありませんでした。友人が深夜私の家を尋ねて来て「お前の親からカギを預かって来た。お姉さんが大変なことになってるから今すぐ帰れと伝えてくれと言われた」この言葉を聞いたとき目の前が真っ白になったのを覚えています。

 

私が生まれたとき、母はとても忙しい兼業農家でした。その為、9歳年上の姉が私が生まれた時からの母代わりの存在でした。遊びからファッションまですべて姉に習ったようなものです。楽器を習ったり英語をならったり自分の同級生から見たら分不相応な内容でも姉は教えてくれました。

 

しかし私が起業した頃から少しずつ会話が減り、私が別の家に住むようになってから時たましか顔を合わせることもなくなっていたのです。

 

後から聞くと、姉は勤め先の男性社員と付合っていたと言います。しかも相手は所帯持ちであり、なにが2人を付合わせたのかは解りません。しかし姉が亡くなった後、その男性は何事もなかったかのように焼香に現れ「私たちは付合っていましたがやましい関係は一切ありませんでした」と言い訳を言って帰って行きました。

 

姉は家族にも言えない悩みを抱えて1人で苦しんでいたのでしょう。後になったらすべて取り返しのつかないことではありますが私自身、後悔の念で一杯になりました。なぜあのときもっと話を聞かなかったのだろう?姉の気持ちを救ってあげられなかったのだろう?自問自答は続きました。

 

姉が亡くなり葬儀や親戚への挨拶が終わった後からまるまる1週間、一睡も出来なかったのを覚えています。夜になると車を飛ばし県内をあちこちへ向い、時間を潰し朝日とともに家に戻る。そんな日々を過ごしていました。

 

今ではもう30年以上前のことですがあの時の後悔は失われることはありません。申し訳なさと悲しみはいつまでも続くものだと思います。

 

もう一つ、6年前父が他界した際にも「落ちぶれた家を立て直した姿を見せることなく」死別してしまったことを心から後悔しました。かつては相応の資産を持ち、地元でもそれなりに知名度のある家でありながら最後は様々な人にダマされ陥れられてすべての資産を失ってしまった父に晴れの姿を見せることなく生涯を閉じさせてしまった後悔はいまも消えることありません。

 

その上、その5ヶ月後、当時同居していた女性に預金から取引先の名簿まで一切を持ち逃げされたことはまさに人生の地獄であったと思います。持ち逃げした女性からは「あなたのことを殺しに行きたい」などと言われるほど憎まれながら「どうしてこんなにもダマされる人生なんだ」と日々涙して暮らしていたのをいまも忘れることはありません。

 

今もその苦しみは消えていません。しかし新たな彼女が出来て今の生活を共に支えてくれていることに感謝の念が溢れて来ます。とは言え経済的には全く持って回復しておらず、このままでは最愛の人と、母に対して申し訳が立ちません。

 

なんとか松田先生の教材から立ち直るきっかけを掴みたいと思っております。宜しく御願い致します。

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