自殺した弟の借金だけが残り、親父は仕事を辞め生活保護者になり母は精神病に

今までの自分の人生を書かせて貰います。自分は、未熟児でこの世に生を受け生まれた時は、助からないかも知れないと、言われたそうです。

 

そんな病弱児で、小学高2〜3年生まで、ほとんど登校出来ませんでした。体調が良い日に登校するのですが、授業を受けても、全く分からずで、学校に行く気持ちが段々拒んでいき、テストは何時も10〜20点で、あまり話しをしたり、遊んだりしないクラスメートから、冷たい視線を感じていました。

 

そして、身体が同じ学年で一番小さかった為、その内、ちびって呼ばれ用になり、段々、いじめられるように成り、ますます、学校に行くのが嫌に成り、だからと言って、そこから逃げる力なんて、余りにも非力であるはずがありません。

 

そんな自分にも楽しみにがあって自分には、妹と弟が居て、兄弟で、山や田んぼに行き、クワガタ、カブトムシ、トンボ、ザリガニを摂りに行くのが、ゆういつ楽しみでした。

 

そして中学校に入学しても、相変わらず、身体は小さいままで、勉強も分からなくて、また いじめが続き、逃げる用に 不登校になり、その内に、違う意味で、不登校の友達が出来て、不良仲間と付き合うようになり、中学校3年には、施設に容れられて、施設を逃げ出したため、中学校の卒業証書は、自分には有りません。

 

そして、鑑別所に容れられて、その頃の自分は、夢とか目標とか希望なんか、とても持てない、荒んだ時でした。当然 仕事は限られ、肉体労働関係の仕事しか見つかりません。そして、振り返ると、弟も自分と同じ道をついて来て居ました。

 

この頃の自分は、生きて居るのが辛くて、でも辛い事ばかりじゃありませんでした。自分の親父、お袋、弟、妹と家族旅行、特に海 魚釣り す潜りが皆好きで、よく皆でわいわい言いながら出かけたものです。

 

この家族があったから、今まで生きて来られた思います。そして、弟とは 変わらずに、仕事は、違いますが、週末には、魚釣りに行ったり、スキーに行ったり、パチンコ店に行ったりしていました。

 

ある日、仕事中に、親父から電話が鳴り、弟の部屋から遺書が見つかったって、今、警察署に捜索届けと、弟が書いた遺書を持って来ているからって聞いて、急いで電車に乗しました。

 

電車の中で、いろんな弟の思い出が頭をいっぱいにして、2日前に一緒パチンコをした時は、そんな様子 全然見せなかったし、気が付きませんでした。

 

いつも、お互いに仕事を終え パチンコ屋で会って、どっちかが、勝った方がおごりで、夕食食べに行くのが楽しみでした。そして、警察署に入ると、お袋の泣き叫ぶ声が響き渡って来て、心が締め付けられる思いで、体が震えて居ました。

 

その日は、家族 一睡出来ない夜を明かして、警察署からは、なんの連絡も無くて、ふっと思ったのが、毎年、夏の盆休みに旅行行く、伊豆でした、すぐに伊東警察に電話入れ確認をとった所、耳をふさぎたくなる、警察官の電話の声でした。

 

それから、お袋は、精神が病んで、精神病院に入院になり、弟が残した借金だけが残り 自分には、何の力も無く 親父は仕事を辞め 生活保護者になり、家族は どん底におちて葬儀費用も無くて、知り合いから借金をして何とか葬儀を質素ながら、終える事が出来ました。

 

自分は家族の前で初めて、声を出して泣きました。もし、親父、お袋が、居なかったら、自分も弟の跡を追っていたかも知れません。今は、一人暮らしから 親元に移って、3年目で、お袋は、退院したもののまだ通院していて、目が離せない状態は変わらずにいます。

 

一年一年 小さくなって行く、両親を間近に見て、さんざん、苦労をかけて来た、親父お袋に、親孝行がしたくて、でも 今の自分には、そんな力が無くて 、以前の様に、皆で、旅行に連れて行ってあげたい。

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