45歳で脳梗塞になり半盲。妻が肺癌で放射線を当て、リンパ、腎臓、大体骨と転移

私は15前に脳梗塞になり半盲の診断をされ入院しました。入院中の同じ部屋に70歳位の人と80歳位の人と仲良くして頂くなかで、当時私は45歳で話は合わず、内容は政治のこと戦後の日本人の考え方、などでそれでも、50日ほどの入院期間で死生感と言う事を、何気無く思考させられる事が、70歳の方の言葉に含まれた面会に訪れた人達との会話です。

 

仕事関係の面会人の人とは会社の業績向上のアドバイスや従業員一人一人の個性尊重と責任を持たせる事で客観的から主観的に行動を促す、上司の任せる決断力など、親族の面会の時は、二人の娘さんと奥さんの生活や、田畑の管理を自分が亡くなっても頼むなどの内容でした。

 

その時はその方は、肺癌だったのですが見た目に元気良く、若い自分は心の中では、何を弱気な言葉を吐くおっさんやな。くらいにしか思えず、それほど深刻な病状とは露知らず過ごす中、夜八時の面会時間終了間際に来る女性が毎日訪れ、家族の居ない時間帯に何時も来て、その時は会話の声は聞こえず。

 

後に解ったのが、末期の肺癌であり残された時間を大事に悔いなく過ごす事だったのだろうと胸が締め付けられる思いから、生老病死の現実を深く考えさせられた日から二週間後に旅立たれ、他人ではありますが、空しく寂しい気持ちに心が支配され今でも忘れられない。

 

そして、今度は妻が肺癌で余命数ヶ月と診断され32年も連れ添ってきた悪戦苦闘の生活環境の戦友が今、病と闘い、涙を見せたことが無いほど精神的に強い妻が夜中に頬を伝い流れる涙に、ふと自分を死生感で覆われた闇の世界を想像したのだろうか、何気なく言った冷たいものが流れたの一言に無力の自分を痛感しる。

 

放射線を当て、窒息死の危険は脱したもののリンパ、腎臓、大体骨と転移が有るが少し安定して外泊で帰宅した時に、普段よりも優しくする私に感謝の気持ちとある意味心中の葛藤が落ち着いたのだろうか?

 

お茶を一緒に飲んで居る時に今日は心が穏やかやねの一言に胸に穴があいたような空虚心に言葉を失う。

 

外泊から二日後には、ストレスから出血性胃潰瘍になり意識が低下しショック状態でICUに移り輸血を行い、現状は回復退院の日を待つのみだが、訪問看護に切り替えて抗癌剤治療の闘病生活を過ごしている。

 

生きるんや、せめて後十年生きるんやと二人、異口同音の合唱を、怠ることなく続けることで生命力を湧現させ免疫細胞の活性を促し人生と病気の勝利を掴みとる使命が負けない生き方で悩み苦しみを笑顔に変える人生の笑花にしたい。

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