排気ガスを車で吸い込み命を絶った知人の息子。一緒に遺体安置所へ

生命については、ステップ2でも生まれ変わりについて書かせていただきましたが、「私」ではなく「私の生命」生まれ変わるものと考えています。

 

生と死。いろいろと思うところはあります。

 

まず第一に、私は平成24年、医師から余命半年の肺腺癌・ステージⅣと宣告されました。余命半年の癌と言われた時より、その前に医師から「お子さんはいますか?」と聞かれた時、「ああ、自分は死ぬんだ」と実感しました。

 

その後治療の効果もあって今現在週3日のアルバイトをしていますが、今でも「自分のそばには死がいる」という思いは消えていません。というより消せません。ただいつも癌のことばかり考えていては、そのストレスで自分を追い込んでしまうと思い、経過観察のための通院は「定期的な健康診断」のつもりでいます。

 

自分の命は自分持ちなのですが、10年近く前にそれまで自分を兄のように慕ってくれ、よく家に遊びに来ていた(時にはアポなしでいきなり来て困ったこともありましたが)一人の後輩が、自殺をしてしまった時は「なんで気づかなかったのか」と自分を責める時期もありました。

 

一人暮らしで誰も頼れなく、私が唯一話し相手だったのに、ある時から連絡も来なくなり、おかしいと思って家に行き、玄関をたたいたその日に実は家の中で亡くなったことで(警察から聞きました)、しばらく自分も気持ちが落ち込みました。

 

自分の性格から、積極的に人に関わることはあまりありませんでしたが、それでも苦しんでいる人を見過ごしたくない、と思わせてもらえた経験でした。

 

また自分と妻がいろいろと世話になった、自分の親ほどの知人(女性)の息子さんが、自動車で排気ガスを引き込んで命を絶った時、一緒に警察の遺体安置所へ行き、泣き崩れるその知人を見て、子供が先に亡くなる事が親にとってどれほどのショックなのか、教えられもしました。

 

自分の病気による「死」を考えたこと、身近な人の「死」を経験したことは、自分にとってショックではありましたが、何か意味のある事なんだと感じています。

 

自分が病気になることで、病気になる人の気持ちを少しではあっても理解でき、場合によっては人を励ますこともできるかもしれません。

 

身近な人の「死」を経験したことで、自分に近くにいる人が悩んだり苦しんだりした時に、ほんの少しでも寄り添うことができるかもしれませんし、立ち直ってもらえることもあるかもしれません

 

まだまだ自分自身に余裕はなく、また人と関わることがあまり得意ではないため、それほど積極的に行動することはできないかもしれませんが、それでも自分にできること(使命のような感じ)はあるのかもしれません。

 

もし自分が悩むこともなく、苦しむこともほとんどなければ、自分を成長させることもできない人間になってしまうと思います。

 

ただ現状では、まず自分が安心して生活できるようになっていきたいと思っていますが・・・。

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