水晶玉はつらいときに助けてくれる!?亡くなった父がそばにいる感覚がある

スピリチュアルは10年以上前、自分がとてもつらい時にお助けアイテムのように色々な本など買い、はまったことがあります。

 

でも、改めてスピリチュアルとは何なのかと説明するのはとても難しいです。私は人間の力の及ばないものをスピリチュアルと呼ぶのかと考えています。

 

自分ではどうすることもできないものがあり、それを何とかしてくれるとてもご都合主義の考え方です。こんなことを言えるのも、今その状況から自分をだましだましですが、逃れることができているからだと思います。

 

振り返ってみるとスピリチュアルの本を買い、その中にあることを実践してみたり、水晶の玉をもっているといいと言われると、手にしてみたりしたことも思いだします。

 

あの沢山の本やグッズはもう手元にはありません。いつの間にか私の中から心配ごとがほかのものに移っていったようです。

 

スピリチュアルを信じていないのではなく自分が辛いから、この状態から逃れるための手段としてスピリチュアルを利用したように思います。残念な出会いでした。

 

父を亡くしてもう、5年たちます。私と父との関係はベタベタしたものではありませんでした。

 

父は戦中派の人間で自分も父を早くなくしているためどのように娘に接していいかわからなかったのかもしれません。まわりの親子関係を見ても、我が家はさっぱりしているなあと思っていました。よくある、旅行とか、誕生日会、クリスマスなどイベント事を何ひとつしたことがないのです。

 

でも父からとても強く愛されていたという実感だけはとてもあります。不思議な自信です。なぜこれほどまでに感じているのか?説明はできないのですが。

 

この感覚がスピリチュアルなのかなと思います。そして今も私のそばにいてくれる感覚があるのです。私は霊感は全くなく、小さいことから不思議な体験や幽霊を見たなど一度もありません。

 

ですが、父は側にいて私を守ってくれていると思います。そしてありがたいことに、父の実体は失われてしまいましたが、存在は感じます。亡くなって時間が経つほどに、喪失感は薄れていき、側にいてくれる安心感をもっています。

 

このようなことからスピリチュアルとは体験するものでなくて、自分で感じ取るものなのかと、特別なことではなくて自分の目の前や、心の中で常に起きているですが、感じ取る力がないと様々なメッセージを受け取ることができないのかもしれないなと思い始めています。

 

色々なことは毎日自分のまわりで起きていますが、それをどう感じて、受け手めるかは自分次第で様々に変わります。

 

よいスピリチュアルの体験をするために、心をやわらかくしていきたいです。

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