小学校4年生で骨皮筋衛門と呼ばれスカートや半ズボンは履かなくなった

私は小さい頃(小学校3年生くらい)までは虐められた事は殆ど無かったですが、4年生で新設校に転校してから「足が白くて血管が見える」「痩せていてガリガリ」だとからかわれ、「骨皮筋衛門」と言うあだ名まで付けられました。

 

そのせいで、私は残りの小学校生活でスカートや半ズボンは一切履かなくなりました。どんなに暑い日でも必ず長いズボンやジャージを履いて学校に行ってました。

 

今の時代ほど陰湿では無かったですし、私も気が強く意地っ張りな部分もあったので、どんなにからかわれても絶対に泣きませんでした。

 

それがきにくわなかったらしく、いじめっ子の中でも特に乱暴な男の子に「今日は絶対に泣かしてやる!」と言われ、教室の真ん中を空けて私の悪口を言い始めました。

 

それでも私が相手にせずにいると髪の毛を掴み引きずり回しました。流石に私も痛さと恥ずかしさで涙が出て来ました。いじめっ子の方は私が泣いた事にとても満足そうでした。

 

また中学生になってすぐ上級生に目を付けられてしまい休み時間毎に「ヤキを入れてやる!」とつけまわされました。相手は私が癖っ毛でパーマをかけている様に見えたのが気に入らなかった様です。下校するのに下駄箱に行くと、下駄箱毎倒された事もありました。

 

でも、私がバスケットボール部に入るとそのいじめはなくなりました。理由は簡単で、バスケットボール部の先輩達の方が格上の不良だったからです。

 

私はただ単にバスケットボールがしたくて入部したのですが、部の先輩たちは私の事を可愛がってくれていじめっ子の先輩から守ってくれました。

 

でも2年生でクラス替えがあり、仲良しグループを作ってつるむ事にあまり馴染めなくて、いつのまにかハズレにされました。

 

クラスでまともに口を聞いてくれたのはある男の子1人でした。(今でもその人とは年賀状のやりとりをしています。)

 

そんな時期、不良グループに呼び出されてその子の家に一人で行きました。

 

シンナーを吸いタバコを吸いながら「最近調子に乗ってる」だとか「何様だと思ってるんだ」とか言われました。私は怖かったけど謝る事もないので「そう見えるんだったら仕方ないけど、別に調子に乗ってる訳でもなんでもない」とか言ったと思います。

 

とにかく怖かった。相手がまともな状態ではないので、何をされるかわからなくてとにかく怖かったです。

 

酔って目がすわって母に暴力っ振るったり暴言を吐いてる時の父の姿が重なりました。こういう目をしている人間はマトモじゃないと分かっていたので、出来るだけ相手を刺激しないようにしてその場を逃げる様にして帰って来ました。

 

とても怖くて悔しかったです。

 

高校はいじめなどは殆どありませんでしたが、クラスの男の子でいつも女の子とばかりいる子がいました。その子自体女の子っぽい子でした。でもいじめたりいじめられたりはありませんでした。だから小中高の中で唯一楽しかったのは高校でした。

 

卒業してすぐに就職したのですが、その会社の上司は厳しい方でしたが、社会人とそての常識や仕事に関する様々な事を教えてもらい本当に感謝しています。(この方とも今も年賀状のやりとりだけは続いています)

 

厳しい事を言われたり、叱られたりして泣いた事もありましたが、相手が自分の事を思って言ってくれると言う親にも似た愛情を感じていましたのでその会社には結婚退社するまで勤めていました。

 

その後暫くは平穏でしたが、再婚して義父が亡くなってからは本当に地獄でした。

 

再婚相手のDV、義弟の酒乱、義母の依存心の強さと強要。私は今でははっきり思い出せないほどボロボロでした。

 

とにかく娘を守らなくてはとそればかり考えていました。

 

でもそう言う時はまともな思考が出来なくて「ここから逃げられない」と再婚相手が死ぬまで思い込んでいました。その後その家から夜逃げ同然で:引っ越して平穏な生活ができるようになりました。

 

でも一昨年わんこが亡くなってしまい、家にいても寂しくて悲しいので、もう少し長い時間働こうと転職をしたのですが、そこで嫌がらせや上司から無理な要求をされたりして鬱になってしまいました。

 

毎日毎日会社に行こうとすると手足が震えて吐き気がしました。毎日何もしたくなくて、誰とも話ししたくなくて、死にたくて仕方なかったです。

 

そんな私を見て心配した娘が「仕事今すぐ辞めて病院に行こう」と言ってくれました。

 

そのお陰で今もこうして生きています。

 

半年ほど仕事をせず家にいましたが、いつまでも無職で無収入で生活していけるはずもなく、病院の厨房の調理師で働く事にしました。そこは考えもやり方も体制も全てが古く時代遅れの職場でした。

 

ただ年数を重ねていけば何も努力なしで昇給し昇進出来て上の人達は自分がルールと言わんばかりでした。とにかく自分が気に入らなければ大きな声で嫌味と悪意を含めた言葉で「注意」?や「指示」?をしてきました。

 

いじめる対象は必ず一人は欲しい様で、入ったばかりの私はすぐに標的にされました。

 

良くなって来ていた鬱病がどんどん悪い状態になって来たので、主治医と相談して辞める意思を伝えた所、「必ず改善するからいてくれ」と言われ一旦様子を見る事にしましたが、対象が私ではなくなっただけでした。

 

この職場は終わってるなと感じ、手の病気の事もあったので今年の3月に無理矢理退職しました。

 

それで今は松田さんに巡り会え、不安ながらもなんとか一人で生きていこうと決心して少しずつでもいいから成長しようと思っています。

 

でもあまりゆっくりはしていられないのかもしれません。

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