30代前半で認知症の父を介護し、仕事を断念。死ぬことばかり考えている

私は、埼玉県の田舎で生まれ、何不自由なく育ってきました。

 

両親からは過保護に育てられ、祖父と祖母からも甘やかされてきた私は、泣き虫のとても弱い子供でした。

 

そんな私が中学校へ入学する時に、父が仕事の都合で北海道の紋別という所へ行くことになり、私も一緒に行くことになりました。

 

北海道の中学に入学することになったのですが、それがいじめ体験の始まりでした。

 

転校先の中学校は港町にありまして、漁師の子供とかとにかく同級生たちは不良たちの集まりでした。

 

体も小さく、気が弱くおとなしかった私がいじめられっこになるのに、そんなに時間はかかりませんでした。

 

「内地の子」と呼ばれ、いじめられたものでした。

 

覚えているだけでも、おでこを蹴られて野球ボールのようなたんこぶができたこと、耳に爆竹を入れられそうになったこと、石を投げつけられたことなどたくさんあります。

 

あまりのいじめに、登校拒否になりました。

 

そして、2年生が終わった時には埼玉に帰ることになりました。

 

埼玉に帰って中学3年生だった私は、埼玉県の高校に入学したのですが、その時もまた、ひどいいじめを体験しました。

 

高校生の時のいじめは、北海道で体験した暴力的ないじめというより(暴力もいっぱい体験しましたが)言葉などによるいじめがトラウマとして残っています。

 

今いじめの問題が、ニュースなどでも取り上げられ、特にいじめによる自殺が大きな問題となっておりますが、私もいつ自殺してもおかしくないくらいのいじめだったと思います

 

ではなぜ自殺しなかったのかと改めて考えてみますと、「希望があったから」ということもありました。

 

大人になったらいいことがある、という漠然とした希望が心の中にあり、いじめられても生きてこれたのではないかと思います。

 

実際その後の人生でいいことはありませんでした。

 

特に仕事に関しては、これ以上ないくらいの大失敗の人生でした。

 

30歳前半で欧米文化を学んで仕事に一大勝負をかけたのですが、父の認知症の介護で断念してしまい、その後はひどい人生を歩んでしまいました。

 

社会というのは、一度レールから外れると二度と「どうにもならなくなる」のだと、痛いほどわかりました。

 

50歳になって、まさか収入を得ることができずに、死ぬことばかりを考えてしまう人生が待っているとは夢にも思いませんでした。

 

八方塞がりで行き詰った人生になるなど考えてもいませんでした。

 

しかし、今の私には希望があります。

 

インターネットという驚くべきものと出会い、松田豊様の素晴らしい動画と出会い、希望を持つことができました。

 

特に、松田様の弱者を助けようという思いには深く感銘を受けました。

 

お金を稼げない社会的弱者は、まさにこの社会のいじめられっこそのものです。

 

いじめを体験した私が思うことは、どんなことがあっても死んだらだめだ、ということです。

 

それは間違いであるからです。

 

弱者がひどい目に合うのがこの世の常であるならば、弱者を助けるのもこの世の常だと考えます。

 

以上が私のいじめ体験であります。

 

いじめで命を絶つ人が一人でもなくなること、それが私の願いであります。

 

いつもありがとうございます。感謝いたします。

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